蝶の羽ばたき

「元の自分に戻るため」の一歩を踏み出した、結構いい歳の私の記録。なんでも書きます。

覚悟と決断の時

明日で9月も終わるけれど、ほんとーーーに心身ともにしんどく苦しかった月だったなぁと思います(笑)

 

いろんなことを感じて、考えて、話してみたり、書いてみたり、使ってみたりして

 

そして今思うことは

 

 

私は思い違いをしていたなぁって思うんです

 

 

(辞めてみると決めたけど)スピリチュアルも、今も使ってるオーラソーマも、ノートに気持ちを書き出したりすることも、全部

 

 

「この人生をより良く生きたい、本来の自分で生きたい」

 

って思ってやっていたし、やっていることなんだけど

 

 

今まで私が思っていた「本来の自分で生きるより良い人生」って、例えば

 

誰にも自分を否定されずに好かれたり

無理せずに「自分らしく」いられたり

お姫様のように扱ってもらえたり

お金が不自由なくたくさん回るようになったり

悩みや問題が消えてなくなって

「幸せ💞」って思いで毎日を過ごせたり

 

そんな人生をどこかで思い描いていたんです

 

 

何の一点も汚れがない

天国のような人生

 

一滴の涙もこぼれない

笑顔だけの人生

 

 

でも、「本来の自分で生きる」って

そんな甘ったるいものではないなって

わかってきたんです

 

きっかけは、パートナーとの結婚を進めていく上で、やっぱり妹になかなか気持ちよく賛同してもらえないことにモヤモヤイライラしたことでした

 

「入籍はまだ早いよ、〇〇や‪✕‬‪✕‬ができるようになってからの方がいいと思う」

 

そんなことばかり言われて

「じゃあ私はどこまで何をどれくらい頑張ったら、あなたに認めてもらえて結婚できるの!?」

って感じて、心がすっと止まってしまったんです

 

 

いつまで、何を、どう頑張ったら

私はOKをもらえるんだろう

終わりが見えない、ゴールが見えない…

そんなことはもう、辛すぎて続けられない…

 

 

そんな思いで苦しんでいる時に、以前も紹介させていただいた青戸真穂さんのブログ記事を読んだんです

 

 

https://justmystar.com/official/inner-child/

 

そして同時期に、精神科の主治医からこんなことを言われました

 

「あなたの人生なんだから、あなたが決めていいんだよ。誰にも文句なんて言わせなきゃいい。妹さんに認められたら一人前になれるの?結婚するのに条件なんてないでしょう」

 

私は、このブログと主治医の言葉を心に受け止めようとした時

 

 

本当に、怖くて、痛かった

 

 

 

私は、多分妹に依存しているんですね

彼女が心の拠り所になりすぎていた

恐らくは、母が他界した時から

 

 

1番そばにいて、1番の理解者で味方

可愛い、大好きな妹

 

だけど、妹は、母の代わりではないんですね

 

 

そしてもう一つ

 

 

私は、発達障害者や精神疾患であるということにも、依存していると思いました

 

 

発達障害者・精神疾患=弱者、被害者

 

という構図を、いつの間にか作り上げていた

 

真穂さんのブログにあったように「可哀想な自分」になっていたんです

 

そして

 

 

発達障害者なんだから、これくらい配慮してもらっていい

精神疾患があるんだから、これくらい優しくしてもらわなきゃダメなんだ

 

 

いつからか、そんな盾を身につけていました

 

 

私は弱くて障害者だから、自分で決めることは間違ってる

だから、妹に決めてもらう

妹がYESということだけして、「私は障害者だけど、一生懸命生きてます」という顔をする

 

妹と障害に依存した私は

 

とんでもない被害者意識の塊になってました

 

 

何も自分では決められないくせに

 

何か起こると外側のせいにする

 

ずるい人間になっていました

 

 

そして、ブログを読ませてもらって、オーラソーマでもお世話になってる真穂さんにも、依存しかけていたように感じました

 

真穂さんの「今、見えるところ」がキラキラで眩しくて

 

素敵だなって思いが、いつの間にか真穂さんをすごく頼りにし過ぎてしまって

 

真穂さんとつながりたくて、アテンションがほしくて

 

 

だからこそ、記事を読んだ時に、一度では読めなかった

 

理解するのが痛すぎて

 

でも痛いって思うってことは、自分でもわかっていたんですね

 

「あぁ、私もここに書いてある人と、同じような時があったし、なりかけていたんだ」って

 

 

そして、真穂さんだけではなく、とにかく人からの優しいアテンションがほしくてほしくて仕方なかった

 

だから、それを求める関係ではないはずの人にまで、必要以上に求めたりした

 

 

ほしいものは、全部、外に求めた

 

 

 

 

そして、誰かに依存して本来の自分で生きていかない人生の方が、きっと楽なんです

 

 

私も妹やオーラソーマに依存して、自分と向き合わずに生きていく方が、多分楽なはずなんです

 

今のパートナーと出会わなければ

ここまで絆や想いが深まらなければ

もしかしたらそのまま生きていたかもしれません

 

 

けど、私はパートナーと一緒に生きていきたいと願っています

心から愛していると言える人

私の半分だと本気で感じられる人

 

彼と生きていきたいと本気で願った時

このままの自分ではいられないと思いました

 

今、自分と向き合って、自分の足で人生を決めていかなければ

自分の見たくないところも、黒いところも汚いところも全部全部見て、それを他の誰でもない「自分で」受け止めていかなければ

 

そうしなければ、私の心願は叶わない

 

 

なぜか、そう思いました

 

 

被害者のままでいるのは楽でした

 

でも、そろそろ、本当に

 

本来の私に戻る時

 

例えその自分が周りに受け入れられなくても

 

 

 

オーラソーマもノートもスピリチュアルも、すべてはツールなんです、たぶん

 

それをどう使うか、どう活かすか

 

カウンセラーの先生が言っていたように

 

 

 

「自分がどう在りたいかが大切」

 

 

自分の意志で決めて、自分の足で歩く

 

すごく怖い、とてつもなく恐ろしい

 

でも、やります

 

ハリケーンの中に飛び込んででも

 

私は