蝶の羽ばたき

「元の自分に戻るため」の一歩を踏み出した、結構いい歳の私の記録。なんでも書きます。

何も悪いことは起きていないから

何もかもが急に上手くいかなくなったように感じる時がある。

 

勇気をだして妹に素直な気持ちを伝えたけど、お姉ちゃんはまだあれこれ足りないと言われた。

 

父の仕事の都合とはいえ、顔合わせの日が遅れることになった。

 

同時に入籍日も、当初の希望日じゃなくなりそう。

 

何だか私のダメなところばかり見せられているようで

 

もう何もかもやめて投げ出してしまいたい気持ちにさえなってしまう、そんな日

 

外は台風による大雨☔で、部屋の中も暗くて

 

なんで私はこんなに足りないんだろうってグルグル考える…

 

 

そんな今日、昨日の朝彼の部屋で見たテレビ番組を思い出す。

永平寺という福井のお寺で、禅の修行をする僧たちの様子をおさめたドキュメンタリー。

 

冬には雪深くなる永平寺

辺り一面真っ白な雪景色に包まれて、ひとつの音も吸い込まれてしまいそう。

途中から見たから全部はわからないけど、たくさんの方たちが、日々坐禅の修行に打ち込んでた。

 

ただ壁の方を向き、背筋をまっすぐに伸ばし、坐禅を組む。

 

何故修行をするのか、何故坐禅を組むのかなど、「意味」は考えないのだそう。

 

ただひたすらに、自分と向き合うだけ。

 

その姿は、凛としていて、静かで、深くて、とても美しかった。

 

食事はいわゆる精進料理のような質素なものだけど、お食事を作る係の方は、野菜の皮や種など、なにひとつ無駄にしないようにと心を配るそうだ。

 

食事を作るのではなく、「作らせていただいている」という気持ちで、毎日の食事を作ると、穏やかな笑顔で仰っていた。

 

僧の方たちに配膳される前に、出来上がった食事に対して、代表の方?が9度、深い礼をする。

ただ頭を下げるんじゃなくて、床に手をついて頭を下げる。9回も。

 

食事の材料を育ててくださった方から、作ってくださった方まで、自分たちが口に運ぶまでに関わってくださった全ての者や人達、そして食事の恵みへの感謝。

 

本当にびっくりしてしまった。

食事に対してそんなに深い想いを向けたことはない。

いただきます、だって、1人のときは言わないことだってあるのに。

 

お寺だから当たり前なのかもしれないけれど、無駄なものがひとつもなく、清潔で、静かで、みんなただ目の前のことに気持ちを集めて向けていく。自分の心とひたすら向き合っていく。意味も求めずに。

 

その様子を思い出すと、ちょっと予定がズレたくらいでイライラしたり、自分のダメなところに落ち込んだりしているのが、なんだかもったいなくなってくる。

 

私も、目の前のことに気持ちを向けてみようかな。

 

そんなふうに思える。

 

そして、また前を向いて頑張ろうかなって思える。

 

 

以前の主治医に言われたことがあった。

 

「何も悪いことは起きていないからね」

 

そう、何も悪いことは起きていないのに、私は不安になったり、怖くなったり、投げやりになったりしてしまう。

 

目の前のことをきちんと見れば、そこには確かに素敵な現実があるのに。

 

最近瞑想やマインドフルネスがたくさんの人に必要とされるのが、わかるような気がするなぁと思う。

 

みんな、自分と向き合う静かなひとときが、必要な時があるんだね、きっと。

 

 

今日は折しも家にひとり。

 

外は大雨だし、私も永平寺の修行僧さんたちの真似をして、自分と向き合ってみようかな。