蝶の羽ばたき

「元の自分に戻るため」の一歩を踏み出した、結構いい歳の私の記録。なんでも書きます。

父の愛の形

愛は、色んな形で溢れてる。

 

愛のカタチはひとつじゃない。人の数だけ、その時の数だけ、たくさんたくさんある。

 

これが愛の形だ!って思い込んでしまったら、他の愛に気づかずに素通りしてしまったり、行き違いを生んでしまうかもしれない。

「愛されてない!」って悲しくなったり、「なんでこんな形なの?」ってしなくてもいいケンカをしちゃうかも。

 

私が小学生4,5年生くらいの時、父は毎日私に算数の問題を出して、解かせた。

父が帰宅する頃には私は寝ていたけど、添削が終わって間違っていたところは、寝ているところを起こされてまで教えられた。

私は算数が本当にできなかった。びっくりするほど。

父は理数系だったし、算数ができない私を恥ずかしく思って、できるようにさせたかったんだと、その当時は思っていたの。算数ができない私をお父さんは嫌いなんだと思っていた。本当に理解できなくて、お父さんの横で泣きながら問題を解いたこともあった。

当時は本当に父との算数の勉強が嫌いで仕方なかった。あんなに理解できないものを毎日頑張らさせられるのは、苦痛でしかなかった。

 

私は、父には愛されてはいないんだと思っていた。

 

大人になって母が亡くなってから、柿を父と食べるのに皮をむこうとした。

だけど私は包丁使いが下手だし、柿をむいたことがなかったから、父がお手本を見せたりああだこうだといって教えようとした。

その時、小学生の時の算数がよみがえって、正直「また?」と思った。

またできない私を恥ずかしく思うのね。

こんな私は嫌いなのね。

その気持ちが態度に出ていたんだろうと思う。父は柿を食べながら言った。

 

「ねえちゃんが結婚した時にお姑さんに包丁使いが下手だっていじめられたりして辛い思いをしてほしくない。母さんがもういないから、父さんが言うしかないんだ」

 

この言葉を聞いて、「古臭い」と思う人もいるかもしれない。

でも、38年娘をやってきた私にはわかった。

 

 

父は、私に辛い思いや悲しい思いをしてほしくなくて、幸せになってほしいんだ。

 

 

父は若い時に大病をしたり、仕事でも人間関係で辛い悲しい思いをしたりした。

自分がそんな思いの中で生きてきたことが多かったぶん、何かができないことで娘が辛い思いをしたりするのが嫌だったのかもしれない。

 

算数ができないのが恥ずかしいんじゃない。

包丁使いが下手なのが恥ずかしいんじゃない。

それが原因になって、私に辛く悲しい思いをしてほしくなくて、父は必死だった。

 

きっと、それは、私の父なりの愛の形。

 

最近そう思い至って、私は長年の悲しい思いが少し溶けた気がした。

お父さんはちゃんと私をお父さんのやり方で愛してくれていた。

私は、ちゃんと愛されていた。

 

 

私が精神疾患になった時、父だけが世の中の真理を言うみたいに当たり前に言った。

「ねえちゃんは、治るよ」

地球は太陽の周りを回ってるよ、と同じくらいの当たり前さだった。

 

 

ありがとう、お父さん。

お父さんの娘になって、大正解だったかな。